行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

言葉に疲れる

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 ブログやSNSの投稿を見ていると、「うちのインプレッサくん」みたいに、愛車に「くん」とか「ちゃん」とかつけて書いている人がいて、もうそれを見ると全身がかゆくなるくらいイライラして不快である。猫に「タマ」という名前をつけて、「うちのタマちゃん」ってのはいい。でもインプレッサはクルマの公式の名前だよ。勝手に君付けすんなコラ!! と思う。インプレッサに「タマ」と名付けるのは別にいい(これはこれで気持ち悪いけど)。でも正式名称に君とかちゃんとか付けられると激しく不快になる。

 

 という私の感覚もまったく勝手なものですが、そういうメカに名前つけるのってほぼ100%女性のような気がする。ここからも私の勝手な想像だけど、女性は持ち物にちゃん付けしたりして、まるで自分のペットみたいにする感覚が強い。昔、電話やドアノブにカバーをかけるのが流行ったけど、ああいうのを見たときのような嫌悪感がゾゾッと走る。

 スケール模型を作ってるときも「うちの零戦ちゃん」などというのを見ると不愉快でしょうがない。もちろんそういう人の書き込みやブログはそれ以上見ません。でも本当は面白いことが書いてあるのかもしれないし、作品も上手いかもしれないので見ずに終わるのは残念な話だけど、嫌な言葉を使ってるだけでもうダメ。

 これは読書好きな人にはわかっていただけるかと思う。文体は言うまでもなく、この言葉使いが嫌いというのが必ずありませんか。書き手がどういう言葉を選ぶかが、その文章を好きになるひとつの理由となるし、それこそが読書が好きということになるのでは。たとえば、体にぴったりあった服でないと気持ち悪いというのに似ている。服なんかどうだっていいと言う人とは違うのです。