行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

好きなように生きる(「珈琲と煙草」シーラッハ)

 私たちは悩んでいる人に向かって、好きなように生きればいい、などと軽く言うことがある。

 それができれば苦労はないさ。

「珈琲と煙草」(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/東京創元社) 

 弁護士出身の作家の書くエッセイ。この中にクラシックカーを買う男の話が出てくる(著者なのかもしれない、はっきりとは書いていない)。

 「こんな平均的でつまらない、無価値な車を修復させる人なんていませんよ。こんな車じゃ転売は無理だし(中略)クラシックカーが欲しいなら、もっと格好のいい車を選んだほうがいいでしょう」と車工房で言われ、男はこう答える。

 「想定された耐用年数をはるかに超えたものが好きなんだ。この車をだれも評価していないというところがまたいい。それに転売する気は毛頭ない。これは私が乗る最後の車で、できるかぎり乗り続けたい」

 いいでしょ?  これが好きかどうかでこの本を好きかどうかも分かれる気がする。このくだりを「つまらない」と思う人は読まないほうがいい。

 同じ著者の「コリーニ事件」(創元推理文庫)にも恐らく同じ車種と思われるクルマが出てくる。思わずニヤリとしてしまう部分だが、一般的に値段が高く多くの人が価値を認めるものを好きだと思わない、そんな人を偏屈とも呼ぶが、私はそういうタイプの人が好きなのかもしれない。

 この話にしみじみと「いいなあ」と思ったりするのは、どれだけ私らが目に見えない息苦しさ、縛り、不自由さに絡めとられて生きているかという証拠でもある。自分の好きに生きればいいって? 好きにできることはものすごく限界があるし生まれてきたこと自体がすでに好きにできないことじゃないか?

 そんなとき、忘れていた喜びや幸せを思い出させてくれるもの。それは私には読書だし、あなたにはまた何か別のものがあるかもしれないね。