「与謝野鉄幹/与謝野晶子」新学社近代浪漫派文庫 「みだれ髪」新潮文庫
ネット上では、他人の悪口を言ったり何かを叩いたりすることが日常茶飯事だが、それだけの労力を自分の嫌いなものに注ぎ込むというのはどういうことだろうか。
熱心に時間をかけて言葉を尽くしているところを見ると、つまりは好きということの裏返しではないのか。あの言い方が気に食わん、あいつのああいうところが許せん、なんてのは、実は「好きで好きでしょうがない、ほっておけない」ということのねじれた表現である。
本当に嫌いで見るのも聞くのもいやだ、というものは書くこと嫌悪感を感じるものなのだ。
だとすると、批判したり悪口書くのも、ちょっと待てよ・・・私こいつが好きなわけねぇだろ、じゃあもう書くのはやめとこうという気がしてくる。
書けば書くほど「好きよ好きよ大好きよ」という心の奥底のねじれた叫びが聞こえてくるようだ。
日常の会話でも、気にしていることはつい口に出てしまう。ブスの人がついブスって言っちゃうように。人間の脳というのは悲しいくらい単純で、好きなことをつい口に出してしまう。認めませんか、嫌いな人と言ってる相手を実は好きなのだと。
その昔、与謝野鉄幹はものすごい中傷にさらされて潰された。いつの時代も人間の嫉妬は恐ろしい。