行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

変えられることもある。

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今朝の新聞に荻上チキさんという評論家が書いていた、「校則が厳しい学校ほどいじめがひどくなる傾向がある」と。

やはりそうなんだ。旧日本軍を筆頭に、厳しい組織には陰湿ないじめがあるというのは、よく知られた話。

同じようなことが先日読んだ「誰がために医師はいる」(松本俊彦著/みすず書房)という本にも書いてあった気がする。薬物を取り締まることは根本の解決にならないと。詳しくはこの本を読んでください。

嗜癖障害(アディクション)の治療は、誰を幸せにすれば終わりなのだろうか? 患者たちの隠された悲哀と苦悩が一人の精神科医の道を拓き(ひらき)、導いてゆく。」という帯の文句にまず打ちのめされる。誰を幸せにすればって? 医師の治療は病気を治せば本人がまず幸せになるし家族も幸せになるに決まってる、それがわからない? 終わりのない問い、終わりのない仕事・・・重いといえば重い話が多いけど、これこそが人間の話だという気もする。どこかで何かしら、自分の経験や感じたことと重ね合わせることもできると思う。

壮絶な人生なんてものとは程遠くても、「これって何かおかしいなあ」と感じることは生きていると必ずあるはずだ。

荻上チキさんは「社会は変えられるし、それを学ぶのが本来の社会科だ」と書いている。他人の人生に対してはなにもできない無力感を感じるいっぽう、社会の制度だとかについては、変える方法は必ずある。我慢すること厳しくすることが正しく良いことだという価値観が案外世の中にはある気がするけど、単に我慢するだけが正しいことだろうか? 規則に人間を合わせているだけじゃないか? 規則を変えていけばいいんだよ。私たちにはそのくらいの頭はあるはずだ。当たり前のことだけど、そんなことに気づかされた。