行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

逃亡願望

最近は紙の新聞の書評で気に入った本をピックアップして読むことが多い。この本もそう。作者の名前も知らなかったけど逃走劇が面白そうだなと思ったから。

確かに前半の逃走劇は面白い、一気に読ませる。導入のネットからの入り方もリアルで引き込まれる。しかしそれにしてもなぜ人は逃亡する話が好きなのか。何かから逃走したいという密かな欲望があるのか。逃亡するということは現代社会ではマイナスだと思われる言葉だけれども、少し前まではそんなにマイナスでもなかったのではないか。ほとぼりがさめるまで姿をくらますのは、よくある話だったのかもしれない。あるいは出家したり世捨て人とかご隠居とか、距離的にはあまり逃亡していないが社会の中心から離れるという考え方。

私は昔から世捨て人(中世の概念)という言葉に強く惹かれる。憧れだけで実行はできないけど、そういう思いは多少なりとも人の中にあって、だから逃亡していく話、と聞くと興味を持ってしまうのではないか。いやもっと飛躍していうと、昔々ホモサピエンスが遠いアフリカから移動を始めたとき、必ずしも勇気のある者たちが群れを離れていったわけではないらしい。むしろ食っていけなくなった者たち、弾き飛ばされた者たちが逃げて逃げてたどり着いた先が極東だった・・・のではないかという考察もあるという。というと、逃げた人間は劣っていると思われるかもしないが、そういうことで簡単に優劣をつけるのは早計だと思う。逃げたのは劣っているからなのか、それとも賢い選択なのか・・・

この話では主人公はそんなに遠くまでは逃げないけれども、距離が離れていくたびにさまざまな衣装がは剥ぎ取られていくのが読む者に一種の浄化作用をもたらす。

「俺ではない炎上」朝倉秋成 双葉社