行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

スポーツ選手を下に見る

 

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 先日スポーツに関するニュースを見ていて、違和感を感じることがあった。

 ひとつは、あるゴルフ選手の活躍を伝える報道で、「××選手のお母さんは●●人(ある東南アジアの国)」と連呼しているのが耳についた。

 お母さんがどこの国の出身でもいいではないか。彼女は日本人としてその大会に出て敢闘した。同じ日本人としてその努力を称えればいい。彼女の母親の出身国は関係ない。

 何気なくアナウンサーの口をついて出たその言葉の裏には、差別 意識があるような気がした。或いは、放送局がそれを言わせているのか。

 もうひとつは、オリンピックの女子陸上中継のときだった。「××選手はママさん選手です」と紹介した。は? 私は耳を疑った。イマドキそんな言い方、まだ生き残っていたのか。

 何気なくアナウンサーの口をついて出たその言葉の裏には、子供産んだらスポーツ選手として使い物にならなくなるのが普通なのによくぞ頑張ってここまで出てきましたね、という心理が透けて見える。あるいは、夫や子供をほったらかしにしてスポーツやってるんですかねぇ、というイヤミか。これもまた、放送局が言わせているのか。

 スポーツというのは不思議なもので、あれだけ大騒ぎして持ち上げて話題にしている反面、心のどこかで「たかがスポーツ選手のくせに」という軽くみる気持ちがあるような気がする。特に女子選手に対する多くの男共の感覚

 


は「見世物」感覚である。ウエアを通して見えるオッパイやお尻を鑑賞している男共の嫌らしい目の前で真摯に頑張れる女子選手たちを、私はある意味すごく尊敬している。