行雲流水~きららのブログ

好きな本のことを中心に、日々の想いを書いてみる

人類はどこから来たのか

f:id:kilakilala:20220314090600j:plain


 人は一人一人違う、多様性が大切だ。その一方で、人は生物としてはホモ・サピエンスという名前でくくられるひとつの種に過ぎない、一人一人の違いなど小さいものだ。という考え方もできる。

 面白い問題である。

 なぜ生まれながらに私は日本人だと思っているのか。なぜ女だと感じたのか。脳の中に何かが仕組まれているのだろうか。遺伝子的には人種間にそう大した違いはないらしい。その何パーセントかで見た目の違いもわかれる。そして人種の違いもあるけれど、文化の違いも大きい。〇〇人としての歴史を背負っている感覚、そういうのは教育のおかげだろうか? それとも社会の無言の圧力? 親の育て方? 

 実に不思議である。

 ヒトは同じようなものだという考え方も大切かもしれないけれども、それを知ったうえで、現在こうなったのはなぜなのか。それを知るための勉強、つまりは歴史の勉強ってものすごく大事だと改めて思う。人類学的、考古学的な勉強のうえに、文化や戦争の歴史を学ぶ。新たな知見が提示されて幾度となく教科書は書き換えられていくだろう。そのたびに翻弄されていくのだろう。それでも新たな何かを求めて脱皮できるのがホモ・サピエンスなのだと信じたい。

 子供の頃持っていた動物図鑑の最後のほうに、人類の進化のことが書いてあった。私は動物よりもそちらに興味を覚えた。シナントロプスやジンジャントロプスという名称が謎めいていて、そしてサルから人間に進化した!?というのが衝撃的だった。土の中から掘り起こされたわずかな骨や石器などを頼りに、過去が明らかにされていくことに子供心にも興奮した。

 骨や遺物のみで研究されてきた人類学が、ゲノムを読み解くことで人々が移動してきた道筋までもがわかるようになってきているらしい。しかし本当の問題はそこから何を考えるか、何を学ぶかだろう。最終章に書いてあることは深く、もっとその問題を読みたくなる。語り合いたくなる。

 「人類の起源」(篠田謙一著/中公新書)